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zoom RSS 【あの日から5年】福島アートの旅 - その3

<<   作成日時 : 2016/04/11 22:54   >>

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http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-12149051239.html
2016年4月11日

《転載開始》

本日で「あの日」から、5年と1ヶ月なのですが、
本当は、今回の記事で『福島アートの旅』完結編のつもりでした。

しかし、2日目の画像数が予想以上に多かったため、
2日目を2分割する事になってしまいました。

つまり、今回の記事は、2日目の「後編」という事になります。

《過去記事》
【あの日から5年】福島アートの旅 - その1
2016年3月12日
【あの日から5年】福島アートの旅 - その2
2016年3月23日





・3月10日 薄磯地区 - 後編

薄磯の現状を一通り見て回った後、塩谷崎灯台の方へ向かいました。

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『永遠のひばり像』

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塩谷崎灯台の麓にある、美空ひばりの記念碑の数々。

上の3つの画像の記念碑が並んで設置されています。

真ん中の画像の記念碑は、近付くとセンサーが働いて歌が流れます。
知らないと驚きます(笑)。

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海岸の風景。

かつては、夏になると海水浴客で賑わっていたのでしょう。

画像には撮らなかったのですが、この辺りには、
飲食や土産物などを取り扱っている「山六観光」さんと、
美空ひばりグッズなどを取り扱っている売店があります。

前回の記事でしくじったと言ったのは、
それらの建物や、美空ひばりグッズの売店に展示されている、
美空ひばりに関する展示品の数々の画像を撮らなかったことです。

ちょっとした、「美空ひばり資料館」みたいな感じで、
見応えありました。

美空ひばりグッズの売店は2軒あり、並んで建っています。

まだ時間が早いだけあって、山六観光さんは開いていませんでしたが、
美空ひばりグッズの売店は、塩谷崎灯台のある丘に登って降りた後に、
2軒とも店を開けていました。

その内の一人からお話を色々と伺いました。

津波に襲われた割には、建物が古びていて、
美空ひばりに関する貴重な資料も残っているのは
何故なのか訊いてみると、
灯台のある丘が津波を防いでくれたお蔭だそうです。

それでも、膝辺りまでは水面が来たそうです。

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塩谷崎灯台のある丘の入口

登るのは意外と辛くなかったです。

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こちらも、灯台の丘の入口にある看板。

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登りきった丘の上に野晒し的に展示されている、「浮標用 ベル装置」。

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同じく、「霧信号用ラッパ」。

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灯台の手前には、
「塩谷崎灯台ミュージアム」(Shioyazaki Lighthouse Museum)
がありますが、残念ながら内部が工事中で、工事作業員がいました。

Twitterを確認すると、その少し前まで普通に営業していた様なので、
タイミングが悪かったですね。

掲示板には、子どもたちが描いたイラストが展示されていました。

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ミュージアムの先に、塩谷崎灯台がありますが、

施錠されていて中に入れません。





・薄磯→湯本

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薄磯からいわき駅に戻り、
そこから電車で1つ分東京寄りの駅、湯本に行きました。

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自分の中で、今回の旅の重要な目的一つと位置つけているものに、
『いわき市考古資料館』
の訪問があります。
いわき市考古資料館

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深鉢形土器(番匠地遺跡) - 内郷御厩町
注口土器(愛谷遺跡) - 好間町愛谷
顔と足のついた土器(4700年前ごろ)
模写:2016年3月10日


「写真撮影禁止」なのですが、
とても興味深い形状の土器があるため、
「模写ならいいですか?」とダメ元で伺ってみると、
それならOKという事だったので、
その中で特にスゴいなと思ったものを、
幾つかを模写させていただきました。

本当はもっとミッチリ模写したかったのですが、
限られた時間内で他にも回るべき場所があるため、
この程度しか描けませんでした。

ここに模写させていただいたものは、後日清書したいと思います。

つまり、色付きで写実的に描かせていただきます。

「深鉢形土器」の口縁部分に4つ、
パラボラアンテナの様なものがついているのとか、
「注口土器」の、一体どうやったらそんなデザインが思いつけるの?
なデザインとか、顔の付いた土器とか、
古代人の発想力はバカにできないと思いました。

最近では、
縄文人は実は高度な文明を築いていたなんて話も出ていますし。

「藤子不二雄風コプト織」など、
古代の遺物には実は驚くべきものがあるのだという事を知り、
昔のものに目を向ける事がとても大切であるなあと思った次第です。

「未来志向」は大切ですが、「温故知新」も大事です。

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バスで湯本駅に戻ろうとしましたが、2時間も待たされると知り、
歩いて湯本駅に向かいました。

実際、歩いていけなくもない距離でしたし、
道中、こんなゆるキャラを見つけました。

「でんきのエンドー」
という、町の小さな電気工事屋さんの看板です。

Twitterでも勝手に宣伝させていただきました。

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更に歩くと、
『野口雨情記念館 湯本温泉 童謡館』
がありました。
野口雨情記念館 湯本温泉 童謡館

アンティークとかレトロとかがお好きな方垂涎の資料があり、
とても見応えありました。

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許可を得て撮影しています。

蓄音機とか、お人形さんとか、童謡の小冊子とか、色々あります。

いわき出身の美術家の卵で多摩美の学生の人に、
「石炭化石館はおススメです」
と教えられたものの、色々と初めてなので要領よく行かず、
「また今度」という事になりました。
いわき市石炭・化石館 ほるる





・湯本→泉

湯本駅から電車で、更にもう1駅分東京寄りにある、泉駅で下車。

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目的は、幾つか画廊が存在するのを確認したため。

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駅から南に向かって歩いて行くと、
『アートスペース泉』
があります。

ところが、この日は木曜日だったのですが、
木曜日が定休日だとの事だったので、
お休みでした。

『志賀葉月 創作人形展』が観たかったです。

『阿部眞士 作陶展』が近々開催予定だそうです。

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気を取り直してもう一つの画廊を訪問しようと歩いていたのですが、
何せ初めてなので、誤って目的地とは反対の方向に向かって
歩いていました。

気付いて元来た道を戻り、駅の北側に出ましたが、
道のりが回り道して行く感じで、かなり面倒くさいです。

が、その道中にこんなものを見つけました。

このギャラリーカフェは把握していませんでした。

『gallery&cafe blaurot』(ギャラリー&カフェ ブラウロート)
というのですが、水木が定休日だそうで、こちらも閉まっておりました。

画像検索してみると、絵本の様な、
夢のある世界を描いた作品がよく展示されている様です。

ウェブサイトが閉鎖されている様ですが、Facebook頁はありました。
Gallery & Cafe Blaurot - Facebook

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2日目の訪問の最終目的地が、ここ、
『ギャラリーいわき』さんです。

丘の上に上がる道を歩いて行くと、丘の上に住宅街があり、
その只中にあります。

私が訪問した時、
水彩画のスケッチの展覧会が前日で終了していて、
幾つか作品が壁から撤去されている状態でした。

私は、事前にどんな画廊なのか全く知らない状態で訪問したので、
いきなりの訪問に申し訳無いと思いました。

実はこの画廊のオーナーさんは、有名な中国人アーティスト、
蔡國強さんにとっての非常に重要なキーパーソン的存在なのですが、
私はそういうのを全く知らなかったので、とても驚きました。

Wikipedia頁が作成されているんですね。
ギャラリーいわき - Wikipedia

いろんな深い話を遅くまで伺い、非常に有意義なひとときでした。

驚いた事と言うのは他にも、私が「Chim↑pom」とは、
それが結成される以前からそのメンバーとは知り合いであると
何かの切っ掛けで述べると、
蔡國強の作品の関係で広島で彼らを見ているそうです。

原爆にちなんだ作品を、蔡國強もChim↑pomも作っていますが、
後者が不謹慎であるとスキャンダラスに叩かれた「ピカッ騒動」は、
もう8年も前の事です。

つまり、ギャラリーいわきのオーナーさんとは、
「蔡國強Chim↑pom繋がり」
という事で驚いたんですね。

それから、
『万本桜プロジェクト』
の話も伺ったのですが、
実は、今回の旅の事前調査の時、
そのプロジェクトを実施している
『いわき回廊美術館』
の存在を把握していたものの、
要領が悪くて抜けていて、
訪問できませんでした。
(知らない事憶える事いっぱいありすぎて)

閉店時間の19時まで会話をし、
その後、駅まで車で送ってもらいました。

有難うございます!!

そして、いわき駅に戻りましたが、
「311」の前日だからなのか?主要なホテルはどこも埋まっていて、
4つ目か5つ目に伺ったホテルでやっとダブルの部屋が1つ残っていて、
仕方なくそこに泊まりました。

《次回3日目は最終回です》





【追記】
土器のスケッチの画像を綺麗な画像に差し替え(2016年4月23日)

《転載終了》

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